長生きも良いのでは

 敬老の日が来ましたが、100 歳以上が 10 万人を超える世の中。お祝いするのも されるのもその意義が薄れてしまいました。
「元気!ながさきの会」に属しているおかげで、孤立・孤独とは無縁で感謝しています。
この先自分はどのように老いていくのか一抹の不安がありますが、私を育ててくれた父や祖母のことを思うと希望が湧いてきます。但し健康寿命に恵まれればという条件がありますが。
 38 歳だった母を亡くしたのが 8 歳の時。姉弟4人と父が母方の里に引き取られました。祖父は今でいうコロナ(スペイン風邪)で 39 歳で亡くなっていました。
祖母は当時 63 歳、大叔母、伯母も同居。好きなことをしていたところに、4人の孫を引き受けて目を回したと思います。
 70 年前の頃は東京といえども掃除機・洗濯機・冷蔵庫(木製のはあり)はなく、家事は大変だったと思いますが、明治生まれの女性は素晴らしく、愚痴ひとつ言ったことはなく家事を手伝う女の孫を結婚させた後も父と弟の世話を 89 歳で死ぬまでしてくれました。
最後の1週間ほど家で寝込みましたが、本人は治るつもりでいたようで穏やかな最期を迎えました。世の中の動きに関心があり、亡くなる三日ぐらい前まで新聞を寝床で読んでいましたが、逆さに持っていたので、目はもう見えなくなっていたのではと見守っていました。昔のことで家庭医も臨終に立ち会いませんし私と姉で看取りました。のんびりとした時代です。
 父は 100 歳まで生きましたが、目が不自由になり、93 歳の時に通いの介護では無理のようで私の家族と同居、98 歳の時に施設に入りました。
同居してすぐ 今世紀最後の“しし座流星群”が見られるという真冬の深夜 2 時頃、「おい!」と起こされると、そこには寒さ対策のため何枚も重ね着をした「和製小錦」ばりの父がいました。最後のズボンはチャックが閉まらず動くたびにずり落ちて結局歩けなくなり吹き出してしまいました。空を仰ぎましたが私には見えた流星も見えず、しし座は流れなかったことにしました。
 施設で素晴らしい作業療法士に出会い、視力が衰えても好きな写真を撮ったり、コーナーに書斎を作ってもらい色々工夫しながらも本を読むなど活気ある生活ができました。
前日まで普段通り過ごせましたし、半日ほど呼吸が苦しそうで意識が朦朧としていましたが、「もう頑張らないでいいわよ」と言ったとたん呼吸を止めてしまい最後まで耳は聞こえるのだと確信しました。
 大叔母(享年 88 歳)、伯母(享年 89 歳)の世話もしましたが年を取るほど穏やかに逝けるようです。この二人は疎開先の広島で被爆し、被爆手帳を持っていましたが無事にゴールにたどり着きました。
この四人を見ていると、芯が強い・好奇心が最後まで旺盛・ユーモアを解する・感謝する人たちで良い手本になります。老衰が一番と実感しました。
 自然に帰るまでに苦痛がなければ怖くないと考えますが、さてこの先どうなるのでしょうか。
一つ年を重ねるごとに終末に至るまでの時間が短くなり、患う期間も短くなり、掛かる費用も少なくなり、めでたいことではないでしょうか。
今月の健康セミナーで“在宅医療ってなあに”という、鯨井先生の講演を聞いて不安も薄らぎました。それまでは「元気!ながさきの会」で皆さんと過ごしたいと願っています。

有馬 糸子